国際活動で活躍する
赤十字ならではのやりがい、聞いてください。
新人看護師から専門看護師まで、様々なキャリアの看護師の声をご紹介しています。
当院でどのように活躍しているのか、やりがいは何なのか、先輩の声から是非感じ取ってください。
国際活動インタビュー
本当になりたいと思ったものにしかなれない
朝倉 裕貴
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朝倉 裕貴
活動履歴
- 2013年 イラク北部 2か月間
- 2016年 南スーダン 6ヵ月間
- 2017年 南スーダン 6ヵ月間
- 2018年 南スーダン 6ヵ月間
- 2019年 南スーダン 6ヵ月間
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看護師になろうと思ったきっかけを教えてください。
もともとは理学療法士になりたかったんです。高校まで体育会系の学校に行っていて、自分がアスリートとしてやっていくのが無理だという現実を突き付けられた時に、どうすればスポーツに携わっていけるかと考え、選手をサポートする側にまわってみるのもいいかなと思いました。しかし当時、スポーツに集中していたのもあり学力がそれに伴ってなかったんです。そんな時に、少しでも近いポジションで仕事ができないかを周りの仲間と話している時に、選択肢のひとつとして挙がってきたのが看護師でした。
当時、男性看護師はほとんど聞いたこともなかったので「今看護師になったら自分がパイオニアになれるんじゃないかな?」と当時は思っていました。昔から目立ちたがり屋で、人と同じことをするのが好きじゃなく、周りに同じ進路を歩む人が誰もいなかったも看護師を選択した要因のひとつです。
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武蔵野赤十字病院に決めた理由を教えてください。
一番の理由は国際活動に参加するためです。
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国際活動に参加しようと思ったきっかけは何ですか?
看護学校を卒業後に就職した場所が、大学病院の救命救急センターでした。そこで勤務していた時に、外国人の患者に対応する機会がありました。英語を話すことができず、その患者さんに何もしてあげられなかったことが、ものすごく悔しくて、これではいけないと思いました。 その時に語学を学ぼうと決めました。語学を学ばなければ多くの人に手を差し伸べることができないと思ったのがそもそものきっかけです。 大学病院で5年間勤務した後に、英語を学ぶためカナダのウィスラーに2年間留学をしました。語学学校に通いながら、病院でボランティアをして、海外の医療や看護を経験してきました。最終的には病院からポジションを頂き1年4か月くらい現地の病院の救急外来で勤務をしました。
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国際活動で行かれた国はどこですか?
2013年にイラク北部のクルド人地区にあるエルビルという都市の戦傷外科病院で2か月間、2016年、2017年に南スーダンへ紛争犠牲者救援に計10か月間活動しました。
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国際活動はどのようなことをされていましたか?
専門は、紛争地医療・戦傷外科です。手術室看護師として派遣されました。 主に手術をしています。その他に患者のトランスファー(移送)があります。エリアによっては医療機関がないので、そこで発生した傷病者を都市部の病院まで搬送します。ひとりでセスナ機やヘリコプターに乗り込んで現地まで飛び、患者をチェックして必要があれば処置を施して病院まで搬送する。日本でいうところのドクターヘリみたいなものです。あんなに資機材はそろっていませんが(笑)
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派遣された国の状況はどうでしたか?
なかなか厳しかったです。物に限りがあるのは当然のことで、スタッフ用の食事、住居は用意して頂いているのですが、地方に行けば2週間テント生活とかもあります。特に雨期は日本みたいに滑走路があるわけではないので、飛行機の離着陸ができなくなります。結果、食べ物や物資の供給がストップしてしまい、何週間もジャガイモとツナの缶詰だけで過ごしたこともありました。仕事より生活の面で苦労することが多かったです。
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危険なことはありましたか?
2016年の派遣の時は、日本でも報道されたと思いますが7月に大統領派と副大統領派の間で武力衝突がありました。日本の自衛隊や南スーダン国内で活動している他の団体は国外へ撤退しました。その時も仕事をしている真横で銃声が聞こえ、その後4日間道路も空港もすべて閉鎖され自分たちは全く動けない状況に陥りました。だからと言って怖くて、二度と行きたくないということはないです。 「生きて無事帰ることが最大のミッション(目的)」だと言われます。 安全面に関しては、当然最大の注意を払っていますが予想外のことは起きるものです。怖くて無理とか、聞いてないとか言っていられませんよね。そんなことでは、この仕事は務まらないと思います。
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一番思い出に残っていることは何ですか?
何回か派遣に出ると、以前一緒に働いた仲間がまた違う国や、ミッションで再開できる事です。一緒に苦労した分そういう結びつきが強くなりやすいので、世界中に同じ志を持って活動している仲間がいる事は、僕にとってかけがえのない財産です。
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苦労したことはどういうことですか?
実際の活動の中で大変だと思う事って実はあんまりなくって。 自分が気を遣う事は長期で派遣に出させてもらうことで、部署に穴をあけてしまうことです。派遣させてもらえるのは部署のメンバーや上司の協力があってこそだと思いますので。日本にいる間は、できるだけ自分のできる事は精いっぱいやりたいと常に思っています。それが仲間たちに伝わっていれば嬉しいですけど。
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国際活動に参加したことによって変化はありましたか?
凄く変わったと思います。元々すごくせっかちで、きっちりやらないと気が済まない神経質な性格だったんです。でも中東やアフリカに行くとそんなの全然通用しないんです。良よくも悪くもルーズです。そういう意味で、肩の力を抜いて仕事すると今までと違う見え方ができることに気付けたのは国際活動をするようになってからです。自分自身の仕事に対する向き合い方が良い意味でルーズになりました。 海外に行くと宗教の問題や文化、慣習の違いが日本に比べてすごく多様性があります。その多様性に対応できる能力ってすごく必要なのです。国際活動を経験したことで、「こういう患者さんがいてもいいよね」「こういう家族がいてもいいよね」という風に考えられるようになりました。
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今後の夢や目標はありますか?
しばらくはこの活動を続けて自分が行けるところまで行ってみたいなと思います。まだまだ自分にできる事は沢山あると思います。実際に活動して自分が行くことによって助かる命があるっていうのを経験してきたので。 あとは、この活動をもっと多くの人に発信していくことも私の責務のひと一つであると感じています。僕よりも若い世代の人たちに途上国や紛争地のことをどうやって知ってもらうか。まずは知ってもらうことから始めないと、どうやって助けたらいいかも分わからないと思うので。活動に参加している以上、伝えていく事も僕の役割だと思っています。同じ志を持った次の世代の人たちがたくさん出てきてくれる事を期待して活動しています。
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メッセージをお願いします。
高校時代の恩師の言葉ですが「本当になりたいと思ったものにしかなれない」 僕はその言葉を今も大事にしています。夢や信念をもって行動する事は恥ずかしい事ではないです。「何でもできる!」という強い気持ちと看護師という仕事に誇りをもって日々業務に当たって欲しいと思います。
国際活動で多様性を深める
加藤 加奈子
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加藤 加奈子
活動履歴
- 2018年 フィリピン セブ島 6か月間
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看護師になろうと思ったきっかけを教えてください。
幼少期病弱だったこともあり病院にお世話になる機会が多かったので、自分も医療者として苦しんでいる人を救いたいと思ったのがきっかけです。大学時代、カンボジアでのボランティア活動やインドのマザーハウスというマザーテレサが設立した施設でボランティア活動を行っていました。それらの活動を通して、看護師として海外で助けが必要な人々のために働いてみたいと思いました。
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武蔵野赤十字病院に決めた理由は何ですか?
主人の転勤にあたり自分のワークライフバランスを考え他の赤十字病院から当院への転勤を考えました。国際救援を希望していたこともあり、国内だけでなく国際救援活動を活発に行っている当院に転勤を決めました。
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国際活動に参加しようと思ったきっかけを教えてください。
好奇心が強く海外旅行が好きで、発展途上国への旅行や海外でのボランティア活動をよく行っていました。その経験を通し、恵まれない環境で暮らす人々がどういう苦しみを持っているのか?どんなニーズがあるのか?どういう援助ができるか?を考えるようになり、そのような人々を助けたいと思ったことがきっかけです。
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国際活動とはどういったことをされるのですか?
昨年、日本赤十字社が行うフィリピンのセブ島における地域保健衛生事業の要員として約半年間派遣されました。セブ島は2013年に大型の台風が直撃したことで甚大な被害がもたらされました。その時に、日本赤十字社が医療分野の緊急支援を行い、その後住宅再建や生計向上支援などの復興支援を行い、そのあとにこの地域保健衛生事業を行いました。
フィリピンは島国ですので台風が来た時に天候が荒れ舟を使うことができず、支援が届かないこともあります。事業地には小さな島も含まれていましたが、島の保健施設には医師や看護師は常駐していません。そんな時、もし誰かが病気になったり大けがをしたり、災害がおきたらどうするか。その時は「住民自らで地域の人々を守る」 必要があります。地域住民が本事業の活動を通して「自分達を守るための技術や知識」を身に着け、それを他の住民へ広げていく、という活動を、フィリピン赤十字社と日本赤十字社が協力し支援して行いました。活動の中心はボランティアの方々。地域の人達の中からボランティアを雇い彼らが中心になってもらい一緒に活動しました。私達が一方的に解決策を提供するのではなく、地域の人達と一緒に考えてもらうことで当事者意識をもってもらうような関りを持っていました。
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派遣先での生活状況はどうでしたか?
生活習慣の違いに驚くことはありました。特に食習慣です。フィリピン料理は、脂っこく甘いものが多く、お米もたくさん食べます。お米がついてくるハンバーガーセットもあります(笑)「ミリエンダ」という一日3~4回のおやつ時間があるのも驚きでした。そういう習慣を実生活を通して自分で体験することで、糖尿病や心臓病などの成人病がフィリピンで増加していることを、身をもって感じました。携わった事業では健康教育を行うこともありましたので、病気を予防するためにはどのように食生活を変えていく必要があるかを、現地の人の目線に立って指導につなげることができたと思います。フィリピンの人たちの習慣、文化、価値観を体験しながら活動に反映できたと思います。
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危険なことや不安なことはありましたか?
派遣中、食中毒になり緊急入院することがありました。この緊急事態で役に立ったのが、緊急連絡網。緊急時のレポートラインを詳細に記載したもので派遣者は必ずこの連絡網を作成します。この連絡網のおかげで各方面に相談や報告をスムーズに行えました。 赤十字社は海外派遣者に対し危機管理を強く意識した指導を行っています。どうしたら自分の身を守れるか?どのように現地の危険な情報を収集するのか?という事を、研修やイーラーニングを通してしっかりと学ぶ機会があります。派遣中も自分達の安全を優先した体制やサポートを受けられるので、安心して派遣に出る事が出来ました。 ともあれ、この入院生活はフィリピンの医療を患者目線でリアルに体感できた貴重な経験でした。自己管理こそ援助者の基本な心構えと言われています。今後も健康管理には十分注意していきます。
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国際活動に参加して心境の変化はありましたか?
この活動を通して、健康のために習慣を変える事を患者さんにもっと意識して欲しい、と改めて思うようになりました。病院は病気や怪我をした人が来られ治療して帰られることが多く、患者様の変化をとらえやすいです。しかし、今回携わった活動は、病気になっていない健康な人々にアプローチをし、病気にならない為に、災害が起きた時の為に、脅威が及んでいない時に、どういう対策が取れるか?というのを知ってもらい人々の意識と行動変容につなげることが狙いでした。人々の意識と行動の変化をとらえづらく、難しく感じる部分もありました。しかし、現在勤務している病棟は小児科と、内分泌代謝科、整形外科の混合病棟で、内分泌代謝科として入院される糖尿病の患者様に対しては医師看護師を中心に健康教育を行っています。今回の派遣経験はそのような患者様の看護に生かすことができると思っています。
また、派遣中、様々な背景や環境で育った国の人達と異なる価値観を共有することができ、自分の視野が広げることができました。スタッフや患者様との関わりの中で、その人のバックグラウンドや考えを尊重し、広い心でサポートしていきたいと思うようになりました。
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今後の夢や目標はありますか?
子供ができてからもワークライフバランスを考え、可能な範囲で家族と相談しながら国際活動に参加したいと思っています。病院勤務ですと地域保健医療に携わる機会は少ないですが、地域保健の学びも深めていきたいです。
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メッセージをお願いします。
日本もグローバル化が進み、日本から海外に出る方だけでなく、海外からの訪日外国人の方も増加しています。その時代の中で、国際活動に参加することは様々な価値観の人々とふれあい、自分の可能性を広げることができる機会だと思います。多様性を深めるという点でも国際派遣というのはすばらしいチャンスと思いますので、是非たくさんの人に目指してほしいです。