国内災害救護で活躍する
赤十字ならではのやりがい、聞いてください。
新人看護師から専門看護師まで、様々なキャリアの看護師の声をご紹介しています。
当院でどのように活躍しているのか、やりがいは何なのか、先輩の声から是非感じ取ってください。
国内災害救護インタビュー
無限大のやりがいを持って
看護師長 櫻井 美枝
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無事に戻ってくるために、万全の準備を
救護班の活動は多岐にわたります。
活動の中で大切にしていることは、「常に備える」ということ。
当院は災害拠点病院なので、「D-MAT」や救護班の医療資材の確保をします。
出動要請時には師長の立場として現場に向かうため、メンバーの健康管理や個人の人となりを良く知っておくことも大切ですね。すべての準備をしたうえで、無事に帰ってくるのが使命と考えています。
出動の際は、現場のニーズに応えた活動ができるよう、丁寧にアセスメントを行い、最大限にできることを提供します。それをちゃんと引き継いで戻ってくることも大切。
戻ってからは院内のスタッフに何をしてきたかを伝え、次に繋げ、それを活かすまでが役割だと思っています。
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仲間がいるから不安はなかった
東日本大震災では三回出動しました。
一度目は、第一班として、震災当日に出動しました。
二度目は、三週間後に被災地のアセスメントを行い、三度目は撤収班として、片付けや状況確認のため出動しました。
道路が通行止めになる中、ひび割れが起こっている高速道路を救急車でちょっと進んでは降り、止まっては確認をしながら慎重に道を進めました。
そんな中でも、不思議と不安はなかったことを記憶しています。
救護班はチーム。サポートし合える仲間がいて、支え合っていたからだと思います。はじめて救護班として活動した時、通信が途絶えて本部との連絡が全く取れなくなってしまったことがありました。その時は、チームが完全に孤立してしまったようで心細くなりました。
ですが、そんなハプニングがあっても道はあり、方法があるという発見がありました。
「このメンバーなら大丈夫!」という確信が芽生えてくるんです。
不安や驚き、安心や確認といった様々な感情があふれ出たのを覚えています。
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患者さんの今に寄り添いたい
あってはほしくないことですが、被災に合われた方、その周囲の方のお話を聞き、そのリアルな感情を共有させていただくことで、復興の知識を得られました。
知識や技術を勉強させていただく機会をいただいているので「もっと知りたい」「もっと学びたい」という精神で、以前より何か一つでも力になりたいと思い活動しています。救護班に参加するようになって判断が早くなりました。
例えば、患者さんは何気ない仕草の中に何かを訴えています。それはその時しか訴えられない感情なので、可能な限り、その瞬間に聞き、すぐに対応したいという気持ちが強くなりました。
患者さんの、その時の感情や、なぜそのタイミングなのかという部分は大切にしたいと思います。
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無限大のやりがいを持って
動機は人それぞれかもしれませんが、看護師のお仕事はやり始めたら無限大です。
年数が経っても答えがなく、やりがいだけが積み重なっていく感覚ですね。
赤十字の救護班で活動を続けると、その繋がりが広く、深くなります。
実際の現場で目の当たりにした事実を、じっと見つめ、そして学べる機会が多くあります。看護師としてだけではなく人として成長できると思います。
関心のある方はぜひ、一緒に活動しませんか?
今の学びを大切に
看護師 神 昭仁
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恥ずかしくない年の重ね方
私は母を早くに亡くし、手に職を付けないと生きていけない時期がありました。当時は父の状態もあまりよくなく、働きながら学校に通えるという理由で看護の道に進みました。選択肢は様々あったのですが、看護助手として実際に働く中で、この道に進みたいと思うようになりました。たくさんの症例を学べると知人に勧められ当院に入職したのですが、当時は男性看護師がいませんでした。
この頃掛けられた言葉が2つあります。
「男性として恥ずかしくない年の重ね方をしなさい」「人に教えられる立場になりなさい」
今でも覚えていますね。
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自分には何ができるのか
武蔵野赤十字病院に入職する前ですが、阪神大震災に遭った友人宅を片付けに行ったことがありました。その時から関心はあったのだと思います。
こちらに来てからは、救護活動をしていることは知っていたのですが、入職したてで意識が向かなかったですね。
そんな時、新潟県中越沖地震がありました。もともと出動する方が捕まらず「いけるか?」と。
この時ははじめてだったので、不安はなかったですね。
ですが、実際に行ってみると、心の中で整理できなかったのか8キロ痩せました。特別なにかあったわけでもないのですが…
アセスメント能力がないとその場で判断ができないという事と、被災者にも迷惑がかかるのも良くないので力と心が強くないと救護活動に行くことは厳しいと感じました。
二回目以降は自分で考えられるようになり、考えれば考えるほど不安になっていきました。
「自分に何ができるのか」という不安です。
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何よりもその場に必要な対応を
全部で5回、救護活動に参加しているのですが、地域性が異なるため、全て印象に残っています。被災地では、活動の全てが決まっている訳ではありません。
その場の判断で、できる事を探しながら、被災地の方々にあった臨機応変な対応が求められます。
不安になっていた時期もありましたが、今では被災地に行くとスイッチが入り、気持ちが切り替わります。
そのあたりは経験によるものなのでしょうね。
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今の学びを大切に
勉強をしっかりしてアセスメントをできる力を養わないと、派遣された被災地でご迷惑をかけるようなことになる可能性があります。
そういう事があれば、あればもはやそれは救護ではなく、行く必要性がなく、行ってはいけないと思います。
本当に災害救護の活動がしたいのであれば、しっかりと学習を積んで行ってほしいと思います。
もちろん初めて行った時にはできなくて当然。
そこから何かを見つけ、学び次に備えて積み重ねていける人になってほしいですね。被災地の方が本当に望んでいる事に対して、どれだけ寄り添っていけるか、という点で活動を行う資格が問われると思います。
今自分にできる事を精一杯やっていかないといけません。
実際に現場に出動することだけが救護ではなく、病院を守る人も必要です。
現場だけだはなく、多方面からの支援を含んだすべてが、一つの災害救護だと考えて欲しいです。
救護活動を通して
看護師 倉橋 公恵
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看護師になろうと思ったきっかけ
若い時、アフリカ難民救済が叫ばれていた頃の人道的支援等が印象にあり、根本的には困った人とか、何か自分が他の方の役に立つ事をしたいと思いが強く医療従事者になりたいと思いました。
さらに赤十字病院は国内外問わず救護活動を行っている病院というところに魅力を感じました。その中でも武蔵野赤十字病院は地域医療に特化していて地域密着型の医療や、今は地域包括ケアの時代なので地域を巻き込んで医療に携わる事ができます。
また、保健師になりたかった時期があり、学校を卒業して行政とか地域に出てしまうと実践能力がないまま活動をするのが困難だと思ったので、現場での経験を積みたいと思いました。
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救護活動への参加
医療従事者になった時点でその根本的な所には、難民救済などがあったので災害救護にはすごく関心がありました。
東日本大震災の時はICUの係長で救命センター周りのことが多く、私は送り出す側だと思っていたのですが、勤務調整などをしながら1班2班を先に送り出したとろで次の3班目で行って欲しい。と言われて大船渡に行ったのが最初です。
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被災地に足を運んで
3日目の状況なのですけど、テレビ等で報道されていた通り、被災地に行くにつれて本当にここに町があったのか分からないくらいとんでもない状況で、、、
東北道を使って行ったのですが、途中のパーキングエリアはいつもの様子ではなく一般車両は入れない状況で緊急車両、消防、自衛隊専用になって、アクセスの経路が限られていて到着するまでに10時間以上もかかりました。
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実際に体験して苦労した所
全部です。立場上、隊員のサポートチームとして健康管理含めパフォーマンスを上げたりと、お母さんのような役割もします。
赤十字の制服を着て被災地に入った際はいろんな方々の目がプレッシャーになる事もあります。
こちらが良かれと思ってやったことでも配慮的な部分で神経使う事もありますし、なにかトラブルがあった際でも日本赤十字という指定公共機関に傷をつけてはならない。という思いがあります。
日本赤十字の【全ては被災者の為に】というスローガンを汚すことはできないからです。
2つとして同じ災害はないですし、そういう意味ではその1つ1つの災害に対して向き合っていかないといけない。
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救護活動へ参加した後の心境の変化
災害医療と日常医療は完全に別とは捉えていなくて、災害医療は日常医療の延長上と考えています。普段の業務や仕事をきちんと丁寧に行う事が災害医療にもつながります。
学生さんや新人スタッフでテレビなどのメディアに影響される方もいると思うのですが、それがきっかけでも全然問題ないと思います。
災害医療に携わりたいという人には、日常医療こそがナースとしての実践能力を高める事になり、災害医療の際に役に立つと思います。
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学生さんにメッセージをお願いします
災害医療のことを考えると自然災害、豪雨も含め日常の隣に災害が潜んでいるので、災害対応をできる人材を増やすことは重要だと思います。そういった時に実際災害に見舞われている方の支援をするのは日本赤十字が一番だと思います。